フィルムセンターでのはじめての監名会は大盛会でした。
東京国立近代美術館付属フィルムセンターが4月より独立行政法人となって私達はその第一号のユーザーということです。 当法人の三浦朱門理事長は、以前文化庁長官時代にフィルムセンターの火災(換気扇の過熱?)で多くのフィルムを焼失した苦い思い出もあってか一時間以上も早くに到着、佐伯知紀主任研究官に話しを聞かれてる様子でした。
この日は、「フィルムセンターはフィルムを保存するだけでなく活用すべき」という三浦理事長の思いがかなった日でもありました。
フィルムセンターでの第一回を記念して司葉子さんと理事長の豪華対談が実現。司さんは、三浦理事長と「緑・花文化知識の認定試験」で委員同志ということで、出席を快諾いただきました。
司葉子さんは当会2度目、前回の折は『紀ノ川』でしたが、今回は成瀬巳喜男監督最後の作品である『乱れ雲』。
コーディネーターの寺脇研(当法人副理事長)さんはいつになく緊張の面持ちで「この映画が出来たころ、私は中学生でした」とのこと。
司さんを舞台上に迎えて、三浦理事長の第一声「先程見た映画と全然お変わりないですね。スターは永遠に美しい」 そして『乱れ雲』について「夫を交通事故死させ、自分の輝かしい未来を全てつぶしてしまった男にだんだん引かれていくその心の動きというのを表現するのは、表情とか行動とか言葉に出てこないから相変わらず憎しみとか、いなくなってくれと言うよりしようがない。ただ、いなくなってくれというニュアンスが変わってくる訳ですね。はじめは憎んでいるんですけど、その男に傾いていく気持ちを押さえる為に、消えて欲しい、忘れて欲しい、という言い方をする。消えて欲しい、忘れて欲しいの意味が変わっていく。そこの所を成瀬さんは、演出家は、強く要求されたと思うんですけど、要求される方は大変でしたでしょうね」
司「三浦先生のように口で言って下さると成程とすぐ分かるんですけど、成瀬先生は何もおっしゃらないんです。台本にもあまり書いていなくて・・・。ですからある時、どこで気持ちを切り替えたら良いのか恐る恐るお聞きしたんです。そうしましたら、なるべく引っぱれるだけ引っ張って、ってそれだけ・・・」
途中、寺脇氏の提案で『乱れ雲』のプロデューサー金子正且さんと助監督だった石田勝心さん(映画監督・当法人事務局長)も壇上に。
金子「司さんは雑誌の表紙になって、それを東宝の重役や監督さん達が見て、名家のお嬢さんで渋っているのを無理に引っぱりだして・・・。最初から主演の女優さん、脇役とかその他大勢の経験なしに最初から主演か主演に近い役でやってこられたんです。スターの品格は身についていたんですね」
司「昭和29年に映画に入りましたけど、当時東宝はキラ星の如く俳優さんがいらっしゃいました。男優では三船さん、池部さん、加東大介さん・・・。女優は原節子さん、高峰秀子さん、山口淑子さん・・・。そんな中に素人がポッと入ったんですね。スタッフが私に、個性を持たなきゃいけないって・・・。個性ってなんだろうってずっと思い続けていましたけど、今思うとあの中で素人っぽかったのは私だけだったんじゃないかと、あれが個性だったんだと思いました」
石田「成瀬さんの体の悪い話は、『女の中にいる他人』の頃からありました。『乱れ雲』の撮影で最後にバスの走りを撮りに、助監督の私と私の下のカチンコ打ってるのとで行ったんです。実景は普通監督は来ないんですが、その時成瀬さんは一緒に来られた。何回撮影しても人が入っちゃって、カメラマンがこれじゃあ使えないと言うんです。 成瀬さんが突然石田君もうやめよう、と言われた。その時成瀬さんの映画はこれでもう終わりだ、と感じました。 つまり助監督に預けて帰られてもよかったのにそうしなかった。これは自分でも最後だからどんなカットも全部ヨーイスタートをかけようと思って来られたんだな、ということがそのときピンときました」
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