天高く秋色めく季節、今日はいよいよ黒澤明監督作品の登場です。ゲストは「七人の侍」で本格デビュー、黒澤家に住み込んで朝な夕な薫陶を受け、その思い出を記した「クロサワさ〜ん!」などの著作もある俳優の土屋嘉男さん。
弓家:「用心棒」撮影当時の思い出をお聞かせ下さい。
土屋:黒澤作品には9本出させてもらいましたが、この作品も先の「七人の侍」も女房に逃げられる役でした。藤原釜足さん東野英治郎さん等のすばらしい演技を目前にして、大変勉強をさせて頂きました。監督は撮影前の準備も凄いし、本番の演出も厳しい人でしたが、私にはやり易く指導して下さり優しい人でした。今日なおクロサワ作品が世界中で上映されている事実は幸せで役者冥利に尽きると申せます。
弓家:「七人の侍」でデビューされた経緯は何でしたか?
土屋:当時、監督は映画・演劇界を問わずクマなくキャストのオーディションをしておられました。私の俳優座時代の事で、偶然、トイレで隣り合わせたのが奇縁となり採用されることになりました。監督の直感がひらめいたとでも言うべきでしょうか。以来黒澤ファミリーの一員として使って頂くようになりました。
弓家:澤家に居候されたキッカケは何でしたか?
土屋:監督の撮影期間が長いのはご承知の通りです。ある時、登山好きの私は数日間の休みを貰って山へ行こうと考えていました。それが監督の耳に入り撮影中にいなくなられては困るので、家に連れていって旨い物でも食わせてやるということになり、結局居候になったのです。監督も山が好き、そして食いしん坊なのです。居候といっても何のお手伝いをする訳でもなく、唯、旨い物を頂き朝寝坊も自由でした。そして朝夕、胸襟を開いてお互いの夢を語る。大変勉強になった時代です。監督は撮影現場
ではベートーベンかムソルグスキー。家では優しく分かり易いハイドンというタイプの方でした。
弓家:監督から怒られた記憶はありますか。
土屋:思い出す程のことはありません。監督の真似をして騒いでいるところを覗かれたことはありますが、何も咎められませんでした。撮影中に監督が怒り出して台本を投げ捨てることは度々ありましたが、それの拾い役はほとんど私でした。
弓家:本多猪四郎監督の作品にも出演されましたね。
土屋:山本嘉次郎監督の助監督にはセカンド黒澤・サード本多という時代があり、黒澤、本多両監督はとても気が合い親しくしておられました。その為、黒澤監督の勧めもあったのです。他にも黒澤監督が尊敬してやまなかった成瀬監督など巨匠と呼ばれる方々に可愛がられたことは幸せだったと思います。
土屋さんはインタビューの後、客席からの質問に答えられ、最後に「生き残りです。今後共よろしく」と締めくくられました。世界のクロサワ作品を始め、豊富な芸歴を積み上げられた名誉ある「生き残り」。どうか何時までもご健勝にお過ごしください。
|