梅はほころびましたが、なお冷え冷えとした空模様、今日のゲストはグローバルなロケを敢行、特に中国とは合作という困難な作業をクリアして、映画史に 記録される作品を発表してこられた佐藤純彌監督です。
野村:監督がこの作品をごらんになるのは久しぶりと伺いました。
佐藤:つくってから二十数年ぶりにみました。自分も俳優さん達も、皆若かったなあと実感しました。
野村:当時、東映は既存の路線の状況打開と、新たな方向づけを模索していた、その頃の作品ですね。
佐藤:洋画の「タワーリング・インフェルノ」みたいなパニック映画がヒットしていた時代です。東映は当時、任侠そして現代ヤクザの実録路線を踏襲して
いましたが、一番の支持者で反体制派の若い人達が、70年安保を境に嗜好も変化し、新しいタイプの作品に期待を寄せる風潮が芽生えていました。
野村:この作品を作られた動機についてお聞かせください。
佐藤:新幹線は全ての危険予防のためには先ず停めることだが、もしそれが停まらなかったらどうなるか。その発想からメカニックの本を求めて研究し脚本
を練り上げていきました。
野村:国鉄の協力は一切得られなかったという話ですが。
佐藤:当時は列車爆破のイタズラ電話があったりして、もし摸倣犯がでたらと神経質になり、協力の許可は全て却下されました。そのために二ヶ月程撮影期
間を空費しました。当時の大川社長は国鉄出身の方ですから随分足を運び懇願されたそうですが、結局OKはとれず、かえって三年程出入り禁止の目にあわれ
ました。列車の中は全てセットですが、そこに使った部品を国鉄への納入業者から直接購入したところ、その業者も厳しく叱られたとの話です(笑)。運転司
令室の見学も許可されず・・・、たまたま外国の鉄道関係者には自由に見せてくれるという話をきいて、ある外人の俳優に鉄道関係者みたいな顔をして美術担
当と一緒に潜り込んでもらって、盗み撮りしてきてもらいました。列車の外観はミニチュアですが、本物らしく見せるためにかなり大きくつくりました。シュノーケルカメラという特殊なカメラで全て手作業で撮影しました。今ならCGとか特撮を駆使することが可能ですが。
野村:犯人グループ・国鉄・警察・車内の四つのグループの描き分けが実にすぐれていますね。
佐藤:共同脚本の小野竜之助さんの参加のおかげです。例えばケイタイなどがなかったあの時代、当時としての手作りの面白さだと思います。それにしてもハリウッド映画「スピード」は実によく真似をしてくれました(笑)。
野村:所で高倉健さんがよく出演されましたね。
佐藤:あの人は任侠路線ではスターだが、何故か実録路線ではほとんど出番がなかった。で、多少の不満もあったのかも知れません。この作品には健さんか
ら是非やりたいと申し出があり喜んで出ていただきました。脚本を読んで「この主役は新幹線だ」と感想をもらしていました。高度経済成長の終わった後、一般の社会人も、自分もどう生きれば良いか模索中の時代だったんだと思います。
野村:そういう意味では、中小企業者、斗争学生、集団就職の若者の三人の犯人像は世代論的にもよく描かれておりますね。撮影は各グループ毎に分けて
行ったんですよね。
佐藤:ええ、国鉄・警察・新幹線・犯人と別々に撮影しました。しかし何といっても日数が足りないのが一番の苦労で、封切りの三日前の完成です。宣伝日数も足りず、結局当初はヒットしなかったのですが、幸いフランスで大ヒットして、逆輸入で日本でも改めて再評価されました。私としても高倉さんにしても大きな転機となった作品だと思います。
会終了後の懇親会で、佐藤監督は「又、監名会に呼んでもらえる作品を撮って皆さんに会いたい」とうれしいお言葉。期待しています佐藤監督!
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