若葉の風薫る五月。今日のゲストは16歳でデビューし、以後、清潔感溢れる青少年役を好演してきた俳優の石濱朗さん。小林正樹監督の「この広い空のどこかに」を見た後、お話をうかがいました。デビューから50余年の歳月が流れましたが、演壇に立たれた石濱さんは、かつての美少年の面影は今なお健在でした。
『今日の作品は、酒屋で味噌などのはかり売りをしていた時代の話で、あんな時代だったのかと実感し、自分自身もとても懐かしく思いました。でも、今で もシャンプーや香水や焼酎などをはかり売りしている店もあると聞き、これも現代商法の一策なのかと感じてもおります。
ところで、映画を作るには製作会社、脚本、監督、カメラ、美術や技術のスタッフなど様々な人達が関与しております。今日の私は撮られる側の俳優の立場 に立ってお話を進めていこうと思います。
私は昭和10年生まれ。小学校一年生の時に大東亜戦争がはじまり、戦後には栄養失調も体験しました。高校まで通った暁星は男子校ですから演劇部活動を
しようにも女優さんが不在です。女の役を交替で演じたりしていました。
高校1年の時、松竹映画「少年期」の主役に選ばれて撮影に入りました。最初のロケは信州のスケート場のシーンからでしたが、そこで役作りの大変さを初めて味わいました。木下恵介監督からは「気持ちを作れ」と指導されましたが、それは心の中で感情を動かすことだ、と自分なりに段々理解していきました。
ロケ先では時間の許す限り、スタッフの方々の作業の進め方に興味を抱き、懇切に教えていただいたものです。そのうち、裏方の様々なことを知りだすと俳 優にとってはかえってそれが邪魔になることに気がついたのもその頃のことです。
当時、松竹では新人を俳優座などに預けて演技訓練をさせておりましたが、木下監督は、かえって癖がついてもいけないからと、私の場合はやめさせられま した。「少年期」に続いて中村登監督の「波」、木下監督の「海の花火」、小林正樹監督の「まごころ」など、色々なタイプの監督から勉強させて頂き、演技 というものを次第に理解していったのです。まず、役の気持ちを作ること、監督にさからわないこと、ワンカットごとの前後をのみこんで演技の流れを作ること、などの大切さを実感していきました。特に小林監督はやり易い方で、こちらの役作りが整うまで待っていてくださるのですが、かと言って決して妥協を許さない方でもありました。「切腹」の時、竹光で腹を切るシーンでは激しくリアルな演技を求められて、腹部に傷の跡が残ったほどです。
代表作は何かと聞かれたらどの役も懐かしいものばかりで選択に迷いますが、やはりデビュー作の「少年期」でしょうか。多くの監督について様々な役をやらせていただき幸福だったと思います。』
石濱さんは現在、社団法人日本映画俳優協会の副理事長の要職に就いておられます。その抱負をお伺いすると、文化庁からの指導もあってここで定款などを大きく改善し再出発したので期待していて欲しいとのこと、さらに「今後はフィルムが与えた文化をどのように伝え残していくかに尽力したい」と目を輝かせてお話を結ばれました。
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