冷夏と呼ばれる今年の夏も、ようやく三日ほど前から30度の大台を越し暑いシーズンとなりました。今日のゲストは、第75回監名会「金環触」で故 山本薩夫監督のチーフ助監督としてゲストで来ていただいた後藤俊夫監督。本日は、発表当時に数々の賞に輝いたご自身の監督作品についてお話をうかがいました。
『10数年前の作品で私も久し振りに観ました。うまくいったなと思う所とそうでない所もあり、とにかく懐かしい思いでした。
この映画の主人公の「マタギ」という職業は辞書には載っていません。諸々の解釈がありますが、純粋に狩を「専業」とする人を指しています。冬は狩に打ち込み、夏は薬草などをとって生業とする。秋田県阿仁町の山中に住む「アニマタギ」が最後のマタギですが、明治の中頃までは結構の数がいたようです。「忍者」のイメージが濃いとも言われてきましたが、とにかく「マタギ」の世界というのは、山を大切にし、山神への信仰の念を絶やすことなく、武人にも似た伝統的な儀式と掟を重んじておりました。代々の世襲制をとりそれぞれ仕事の役割を持ち、獲物は平等に分配する制度を保ちつづけていました。
ところでこの作品はハッキリ言って悲劇です。銀蔵が仕留めた人喰い熊に子熊がいた。子持ちの熊を殺すことは掟(山立根本之巻)に反し、「マタギ」を廃業しなければならない。銀蔵は大切な銃を人に預け、孫の一平と共に子熊のゴン太を育て上げて、いずれは山(神)に帰すことにします。作品の舞台となった秋田県阿仁町は昭和初期に鉱山が開発されました。山林は自然破壊を受けて熊も安住の地を追われてしまうのです。山に戻されて成長したゴン太が人里を襲うのもこうした宿命を背負った悲劇です。
私はこの作品で三つのことを訴えました。家族の絆・自然と動物への愛・教育のあり方、などです。これらの主張を幾つかのエピソードにして画面の中に織り込みました。その一つに、孫の一平の自立の問題。漫画家の矢口高雄さんの造語なのですが、「野イチゴ落し」というシーンがあります。親熊が子熊をひとり立ちさせるために野イチゴ原に連れていき、子熊が夢中になって食べている間に親熊はソツと姿を消す。この情感は、銀蔵と一平の自立と関連して描いています。人間も動物も相手を思い、いたわる気持ち、厳しさの中にも優しさを表現しました。子供は自分の眼で確かめ、自分の頭で考えて行動する。自分の進路を自分で決めていくたくましい少年に成長しいきます。
撮影中の苦労話と言えば、まず熊の選択でした。登別の熊牧場にいる160頭の中から面相や毛並みの良いのを選びました。子熊の方は、成長のプロセスに合わせて6頭を使い分けました。吹雪や雪崩のシーンは、技術スタッフの方に随分苦心をしていただいた成果です。子熊ゴン太が自然と戯れる可愛らしいシーンは、助監督さんたちが偶然発見したドキュメントを編集して織り込んだものです。
私の作品の傾向が、このように自然と人間のいとなみを描いたものが多いというのは私の生い立ちにあると思います。生まれ故郷は信州伊那ですが、その美しい自然、その中で過ごした少年時代が映画の原風景となっています。』
心温かで優しいお人柄の後藤監督のお話は、とても感動的でした。監督は今「村歌舞伎一代記」(仮題)の準備中とか。出来上がりを楽しみにお待ちしています。
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