強い春一番が吹くという予報にもかかわらず、会場内は満席です。本日予定していたゲストの内のお一人舛田利雄監督は、急病のためお休みとなり、その舛田監督と多くの作品でコンビを組んでこられた高村倉太郎撮影監督、そして途中からスチールを担当した井本俊康さんにも加わっていただき、このお二人にお話しをうかがいました。
高村:暫くぶりに観て、大分忘れている所、初めて観るような錯覚に捉われるシーンもありました。舛田監督のデビュー三作目ですが、私は初めて組みました。どういうわけか私は西川克巳監督を始め監督昇進第一回作品をサポートする機会が多く、10人の監督との縁がありました。監督と撮影監督との結びつきの重要さは信頼関係です。互いの感性を理解し、時には議論し合って作品を完成させて行くのです。従ってデビュー作のコンビは助監督時代に親しかった仲とかで組み合わされる例が多いのです。西川さん、小林正樹さん、今村昌平さん等々ほとんどはその縁からでした。でも舛田監督とは、それまで繋がりが無かったので、よく話し合うことに努力しました。本日の作品で初めて良いコンビが生まれ、長いおつき合いとなりました。舛田監督のタッチは非常に力強く、やがて日活のムードアクションの分野を確立して行きました。本日の作品の巻頭に「或る地方都市(宇高)」と有りますが結局これは門司と決め、カーチェイスは深川で、ラストシーンは月島の石炭置場を使いまとめました。当時人気沸騰中の裕ちゃん(石原裕次郎)がロケ現場に現れると、見物人が大勢集まりその整理に大童でした。
井本:裕ちゃんといえば痛快な酒豪でした。当時撮影所の食堂は禁酒だったのに、ビールを飲めるのは裕ちゃんだけの特典でした。裕ちゃんとの酒にまつわるエピソードは尽きません。処でスチールマンという仕事は撮影現場をよく見て居ないと勤まりません。ドラマの進行、撮影画面を十分理解してそれをどうスチールに表現するか、その作品の雰囲気を作り出すことが肝要な作業です。然し当時の日活は出来上がった作品のスタッフ欄にスチール担当者の名を入れてくれなかった。それが未だに残念でなりません。
高村:長身の裕ちゃんは、初めて会った時から華を感じさせるスターの雰囲気を備えていました。性格も素直だし、特に気を使うこともなく楽に撮れた人です。顔のクローズアップで人柄を表わすカットにしても、裕ちゃんにはテクニックは不要でした。メイクも余り濃くせず、俳優の自覚と責任を保っていた人です。私とは家族ぐるみのおつき合いでしたが、手不足の時などカメラ助手を気軽に引き受けてくれたり、スターを気取らない人でした。俳優の情熱は映画の情熱とも言われますが、それを地で行った得難い大スターでした。
高村さんと井本さんは裕ちゃんの思い出を中心に淡々と語られます。そして、このフィルムセンターで古いフィルムを保存しているのは素晴らしいこと、これから20年30年経っても、又見たいと思わせるような映画作りを心がけて行くべきだと強調されました。高村さんは現在、日本映画撮影監督協会の名誉会長として、後進の育成にも努めておられます。
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