偶然だろうか? 2005年は、日本映画史に華麗な業績を残した稲垣浩、齋藤寅二郎、豊田四郎、中川信夫、成瀬巳喜男、野村浩将といった名匠たちの生誕百年にあたる。それを記念して各地で巨匠たちの作品がリバイバル公開されている。映文振センターが主宰する「監名会」(年4回)では5月28日、前回の「或る女」(2月)に引き続き豊田四郎監督の作品「夫婦善哉」(1955年)を上映した。「オダサク」の愛称で親しまれた作家、織田作之助の原作小説の映画化。製作・配給は東宝。
当日、京橋のフィルムセンターは、ゲストが本作で森繁久彌氏と共演した大女優の淡島千景さんとあって会場は超満員。弱冠3歳で日本舞踊の稽古場に通いはじめ、宝塚を経て松竹へ。渋谷実・木下恵介・小津安二郎ら巨匠たちの作品に出演し、第1回ブルーリボン賞をはじめ多くの賞を受賞。その後フリーとなり81歳の今日まで映画・テレビ・舞台に現役で活躍を続ける大女優“淡島千景”の底力をみた気がした。
上映会の後、淡島さんが渡部純雄(映文振センター)氏のインタビューに本作にまつわるエピソードを話された。
五社協定が厳しい時代に、松竹に所属する淡島さんが他社(東宝)出演した初めての作品が本作だ。撮影にあたって苦労はなかったのだろうか?
「当時、<関西モノ>はあたらないという風評があり製作側はとても怖がっていた。その上、東京生まれの自分にとって関西弁での会話、スタッフはすべて関西人という環境での出演は大変苦労が多く、初めて出演中に降板したいと思った映画だった。でも、松竹から女優をわざわざ借りる価値があったと思わせる必要があり一生懸命に演じた」。作中の蝶子のようなハキハキとした口調で話す淡島さんは、実年齢を感じさせない溌剌とした若さと控えめな知性に溢れていた。
女優としての意地から無我夢中で演技しているうちに、気弱で甲斐性なしの柳吉を演じる森繁さんをしめあげるシーンでは、力みすぎて脳しんとうまでおこさせてしまったとか。その気合が本作を成功へ導き、以後二人は日本映画を代表する名コンビとして名を残すこととなったのだから、やはり本作は淡島さんあっての作品と言うほかない。
最後に「活況を帯びてきた日本映画をよろしくお願いします」と深々と頭をさげる淡島さん。日本映画をこよなく愛する映画人なのだと実感した。
|