今年2月、94歳で亡くなった日本映画界の巨匠・市川崑監督は晩年に入っても精力的に製作活動を続けた。5月10日、京橋のフィルムセンターで開催された「第97回監名会」の上映作品は、市川監督の代表作「破戒」。1962年度の作品で、製作・配給は大映京都、原作は島崎藤村の同名小説。
部落民という出自を隠して生きていかなければならない瀬川丑松(市川雷蔵)の苦悩を清楚な娘・お志保(藤村志保)との恋愛を絡めながら描く文芸作品だ。上映会の後、本作がデビュー作(そのため、原作者の名前と役名を女優名とした)となり各種新人賞を受賞し一躍大映のスター女優となったベテラン女優の藤村志保さんに、映画評論家で当法人副理事長の寺脇研さんがお話を聞いた。司会進行は俳優の三木奈保子さん。
「お志保役は16、17歳の設定でしたが、撮影時は23歳でした。最初の撮影がいきなり別れのシーンで、寒さと緊張のために動けませんでした。市川監督はとにかくテストが長く1シーン何十回も撮りました」スクリーンの中からお志保がそのまま抜け出してきたような錯覚を抱いたのは私だけだろうか?
現在から46年前の作品なのに、藤村さんは可愛いらしく(失礼だが)、しとやかで、ゆっくりと言葉を選びながら語られた。
「市川監督の演出の細かさが冴え、当時の大映京都のすばらしい技術が存分に活かされた作品だ」と寺脇さんは語る。
市川監督や名スタッフ、市川雷蔵の前でカメラテストを受けお志保役を射止めた藤村さん。色のついていない”田舎っぽい”子がいるよ、と市川雷蔵の推薦があったそうだが<大スター・ライゾー>の日本的な佇まいと藤村さんの放つ清楚で凛とした雰囲気がピッタリ一致したのではないだろうか。
以後、藤村さんは市川雷蔵と多く共演し大映の看板となり、大映倒産後も日本を代表する女優であり続けている。大映解散は確かに残念だが、本作で美術監督を務めた西岡善信さんがスタッフをまとめて創立した映像京都は「どら平太」などを作り、英知はしっかりと残った。技術や精神が受け継がれてゆく限り、日本映画の質が落ちることはないと確信した。 |