日本映画の名作を映画に関わった映画人をお招きして検証し継承していく活動を続けている映文振センターの事業の一つ「監名会」。例年より早く梅雨入りした5月28日、今年初めての開催となる第108回「監名会」が京橋のフィルムセンターで行われた。
上映作品は日本を代表する小津安二郎監督の晩年の作品「秋日和」(1960年)。
中学時代より作家・里見クに傾倒していた小津監督は、晩年大作家の住む鎌倉に移住し親交を深めてゆく。やがて、里見クが小津映画のために書いた「彼岸花」は日本映画に名を残す事となる。2年後に発表し原作提供した上映作「秋日和」は、母娘の愛情を喜劇風に描いた作品だ。
上映会の後、本作のプロデューサーで原作者のご子息でもある山内静夫さんに小津本を多くだしている映画・文化史家の田中眞澄さんがお話を聞いた。司会進行は俳優の横溝優希さん。
「小津監督は全てを自身でこなす方だったので小津組のプロデューサーとしては大変楽だった。しかし、原節子(母役)と司葉子(娘役)というライバル会社・東宝の看板スターを松竹映画に起用した企画だったため、当時交渉をかってでてくれた人がいたのだが二転三転した。特に司葉子起用のため東宝との交渉は難航した。結果、役者を貸すかわりに小津監督に『小早川家の秋』を東宝で撮ってもらう事で決着がついた」と山内さん。
山内さんは父原作の「彼岸花」も製作している。1958年という年は日本映画最盛期だった。本作「秋日和」が公開されたのは1960年。この時、既に小津監督は自身の体力を気にかけていたという。そして、3年後の1963年、誕生日の日に60年の生涯を閉じ、大作家と交流した鎌倉の地に眠っている。
本作に関して田中さんは、「余計なものを排除した作品で、カット毎の繋ぎが実に巧妙」と語る。
山内さんはさらに「全身全霊をかけて納得のいく作品作りに取り組む小津監督の姿勢がスタッフを動かし、皆が一つの方向を向く事が品格をうみ、やがて名作となり永遠に残ってゆく。小津監督と仕事ができて本当に幸福だった」と語られた。
山内さんは現在、鎌倉文学館館長を務められている。
現在から半世紀前の作品だという事をしばし忘れた鑑賞だった。
(文・桑島まさき/写真・島崎博) |