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《木下恵介監督生誕100年》
2013年5月11日
第116回 「惜春鳥」
おはなし:俳優 石濱 朗  さん     インタビュアー:ジャーナリスト 関口 裕子  さん

「監名会第116回」が5月11日(土)、生憎の雨模様の中、東京国立近代美術館フィルムセンター小ホールで開催された。木下恵介監督生誕100年を記念しての上映である。この映画は、2011年3月11日の東日本大震災以来、原発事故に揺れている福島県会津を舞台に54年前に撮られた。当時の風景がふんだんに出てくる。山本豊三扮する馬杉が、友情を信じて夜の東山温泉街を不自由な足を引きずりながら走る長いカットは秀逸。ナイターロケで現実に店内のライティングまでやらせてもらったという。歳月の経過の中、少年たち5人(津川雅彦、小坂一也、石濱朗、山本豊三、川津祐介)の友情が、はかなく崩れゆく様を描いた青春群像ドラマ。戊辰戦争で、白虎隊少年たちの結束した清冽な生き方と対照的だ。津川雅彦の松竹入社第1回作品。
木下監督は、1933年松竹蒲田撮影所に入り、1943年「花咲く港」で監督デビュー以来、幅広いジャンル、一作ごとに挑戦する実験的な製作技術のスタイルを駆使して、映画の面白さを満喫させてくれた。
「惜春鳥」上映後、この映画に出演した俳優 石濱朗さんから往時の話をきいた。
石濱さんは、1951年松竹映画「少年期」で主演デビュー、その後多くの木下作品に出演。インタビュアーはジャーナリストで元キネマ旬報編集長 関口裕子さん。司会進行は俳優の武川優子さん。

 石濱さんは、「少年期」に初出演の経緯について、16歳の高校生のとき、映画が大好きで演劇部にいたが、この映画には姉が知らぬ間に応募したら受かったというのが始まり。2作目の「海の花火」の時、夏休みに、木下監督、松山善三助監督、石濱さんの3人でロケハンに行き、1カ月じっくり映画漬けになり、映画から抜け出せなくなった。デビューの形としては大変恵まれていたという。
1953年、木下監督の愛弟子である小林正樹監督の「まごころ」(脚本 木下恵介)と、黒澤明監督の「七人の侍」と出演の話が重なった時のことについて、「七人の侍」の役は若い侍(木村功の役)であったが、撮影期間が長いこと、「まごころ」の方は、主役の自分のために、千田是也、東山千栄子、田中絹代、淡路恵子、高橋貞二、津島恵子、野添ひとみなどのメンバーを揃えてくれており、また大学受験前で内容が今しかできない映画だと思い、「まごころ」の方に出演することに。木下監督と黒澤監督とは仲がよかったことも幸いしたと経緯が語られた。
関口さんの「本日の映画の若者5人組の芝居にしても、皆日常の生活がにじみ出たかのような演技だった」という言葉に、演技指導については、木下監督は、俳優の自由にやらせてくれて、殆ど注文をつけなかったとのこと。

 佐田啓二(病身の牧田英太郎役)と有馬稲子(芸者みどり役)が、かなわぬ恋を貫いて心中する直前に、原野で英太郎が白虎隊の詩を吟じ、みどりが白虎隊の剣舞を踊るシーンは悲壮感に溢れ素晴らしい。二人の存在によってこの映画に陰影と深みを増している。また、最後に少年二人(津川雅彦、石濱朗)が決闘する戸の口原の上に、白い雲の群れが動いている風景は、木下監督の好みの一端を見る思いがした。

(文・中村才一 写真・島崎博)





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