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2014年11月8日
第122回 「羅生門」
おはなし:元黒澤組プロダクションマネージャー  野上照代  さん  
インタビュアー:元キネマ旬報編集長  植草信和  さん

 2014年度の締め括りとなる「監名会 第122回」が11月9日(土)に京橋のフィルムセンター小ホールで開催された。上映作品は黒澤明監督の『羅生門』(1950年)。本作は黒澤監督の11作目の監督作品で、原作は芥川龍之介の短編小説『薮の中』と『羅生門』。舞台は平安時代、ある侍の殺人事件に関わる複数の登場人物の証言が、それぞれの視点により全く食い違うかたちで展開し、人間心理に潜む危うさを見事に描き出す。日本映画初となるヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞外国映画賞を受賞し、日本映画が世界に評価されるきっかけとなった記念碑的な作品。
 上映後のゲストとして、黒澤組の野上照代さんにご登壇いただきお話を伺った。野上さんは本作で黒澤監督と出会い、その後も長きに渡りスクリプターやプロダクションマネージャーとして黒澤監督を支えてこられた。なお、野上さんには監名会第106、109回でもゲストとしてご参加いただいている。今回のインタビュアーは元キネマ旬報編集長の植草信和さん。司会進行は俳優の益田悠佳さん。また、数多くの黒澤作品で助監督を務められた小泉 堯史監督(監名会第109、119回にゲストとしてご参加)も客席に駆けつけてくださった。
 本作の撮影当時は黒澤監督は43歳、ご自身も若干23歳だったという野上さんは、濃紫のカーディガンに鼈甲のペンダントと黒いカチューシャという華やいだ出で立ち。折々ユーモアを交えて語ってくださった。野上さんによれば『羅生門』は「奇跡的な作品」。戦後わずか5年目(昭和25年)という混乱期にも関わらず、オールロケを敢行、革新的なキャメラ技術による印象的な映像を造り、フルオーケストラの生演奏を取り入れるなど、黒澤監督の妥協しない姿勢が随所に現れた作品に仕上がったという。更に編集の締切直前に撮影所が火事に見舞われたことや、ヴェネツィアへの出品が実は大映の意向ではなく、『羅生門』に感激したイタリフィルム社長のストラミジョリ女史が自身の一存で自費で字幕を付け母国へ送ったこと、当の黒澤監督ご本人が本作のヴェネツィアでの受賞を知らされずに多摩川で釣りをされていた、といった幾つかのエピソードも披露された。
 一方、公開当時は高校生だったという植草さんは、画面から伝わる巨大な羅生門のオープンセットや激しく降りしきる雨の迫力に、日本映画のすごさを実感したという。貴重なポジフィルムでの編集、それまでタブーとされてきたキャメラを直接太陽にむける撮影方法、ミラーを多用して光と影の対比効果を積極的に狙った手法により、磨き上げられた映像の斬新な美しさが、明快に伝わってきたという。
 「奇跡の連鎖」が、この映画に関わった人々のその後の「幸運の連鎖」へと波及していったことについて、植草さんが「この作品により運命が定まったという人が何人もいる『人の運命を操った映画』ですね」と問われると、野上さんも本作によりご自身のその後の長い映画人生が決定付けられたことに触れられ、振り返ればご自身こそ強運だったと述懐された。また、この作品で国際的な評価を高めた黒澤監督はもちろん、更にはこの映画の観衆側にも『羅生門』の「奇跡」が及んでいたということにお話が至り、この映画の豊かに溢れるエネルギーが、時を経て「今」という時代にも満ちていることを実感しながら今回の上映会は閉幕となった。

(文:菅原英理子 写真:島崎博)





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