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2015年2月14日
第123回 「わが生涯のかゞやける日」
おはなし:映画評論家・日本映画大学学長  佐藤忠男  さん

 今年初めての開催となる「監名会第123回」が2月14日(土)に京橋のフィルムセンター小ホールで開催された。上映作品は吉村公三郎監督(監名会第3回にゲストとしてご参加)の『わが生涯のかゞやける日 』(1948年)。戦後間もなく製作された本作では、血気盛んな青年将校である主人公・敬太が、終戦前夜にポツダム宣言を受諾した大臣を売国奴として暗殺し、そこへ居合わせた娘の節子によって短剣で腕に傷を受ける。歳月は流れ、敗戦後は魂を失ったように生きる敬太は、暗黒街のボスの手下として働き、その拠点となるキャバレーに、ダンサーへ身を落とした節子が新入りとして雇われる。相手の素性を知らずに再会した二人が、次第に互いの過去を超え惹かれ合っていく姿を描く。
 上映後は、映画評論家の佐藤忠男さんをゲストにお迎えしてお話をうかがった。司会進行は俳優のにしいひろみさん。水色のストライプシャツに淡いグレーのジャケットという春らしい出で立ちで登壇された佐藤さんは、当時の世相や主役を努められた山口淑子さんの思い出も語ってくださった。
 昭和23年に公開されたこの作品は、非常に前評判が高かったという。前年にヒットした『安城家の舞踏会』(1947年)と同じ監督、製作陣、俳優陣であることに加え、戦時中に満州国や日本で活躍した「李香蘭」が、終戦後に『山口淑子』の名で日本の銀幕へ復帰し、初めて大きな作品で主役を務めるということで注目された作品だった。
 ちなみに、その『安城家の舞踏会』は、吉村監督が南方への従軍時、その地で「大きく育ち過ぎた大木が最後に自分の重さに耐えきれず倒れてしまう」という話を耳にして、自分達もそのくらいスケールの大きい「映画らしい映画」を日本映画で造りたいという心意気により製作された作品だという。
 一方、ヒロインの節子を演じた山口淑子さんは、少女時代を満州鉄道の職員であった家族に伴われ中国で育ち、中国人歌手の歌の吹き替えをしたことが切っ掛けで、当時アジア最大の撮影所を持つ満洲映画協会に見込まれ、『李香蘭』として映画デビュー。そのチャーミングな容姿と抜群の歌唱力でたちまち人気スターへ。当時を知る現地の人達の中では今でも語りぐさになる程の大人気だったという。戦後は、中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられるなど、流転を体験し日本へ帰国。 
 生前の山口さんと交流があった佐藤さんは、ご本人はこうしたご自身の半生を描いた『ミュージカル李香蘭』やTVドラマ化を喜んでらしたが、同時にひとつだけ、もう少し私の声に近い方に「李香蘭」の役を演じてほしかったと漏らされ、歌唱力への自負を示すエピソードを披露。
 また、後年、香港映画祭で戦中に人気の高かった『支那の夜』を上映したいとの打診を受けた山口さんから、当時の日本の宣伝映画に出てはいたが、同時に、反戦映画にも出ていたことを中国の人々にも認識して欲しいので、上映作品を『暁の脱走』に変えて貰えないか、というご相談を佐藤さんは受けたという。占領下でも、日本人に憧れる中国人が存在するという日本人の淡い夢と幻想を、役者として体現してきた山口さんが、中国と日本を愛しながらも、結果的に中国の人々を騙し傷つけてしまったという良心の呵責に悩み、その狭間に生きた姿を紹介。
 二つの祖国を持ち、戦中戦後の激動の時代を生き抜いた数奇な運命の女優。自身が後々もそこへと思いを馳せる一人の人間としての姿が、今も伝わってくる上映会となった。

(文:菅原英理子 写真:島崎博)





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