連日の猛暑が続く中、ほんの少々涼しく感じた立秋の8月8日(土)に「監名会 第125回」が京橋のフィルムセンター小ホールで開催された。上映作品は本年が戦後70年ということで岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967年)。大宅壮一名義で実話を編集した同名原作の映画化。折しもこの夏には、原作の決定版を元に原田眞人監督で再び映画化された作品が、上映会同日より全国公開されている。
当会の上映作では、昭和20年8月、広島と長崎への原爆投下やソ連の参戦など日本の敗戦が決定的となった辺りから描かれる。特別御前会議でポツダム宣言の受諾が正式に決定し、終戦処理を進める政府が天皇陛下によるラジオでの玉音放送を閣議決定する一方、終戦に反対する陸軍将校たちがクーデターを計画、その他の終戦反対派も各部隊ごとにバラバラに行動を開始。反対派は終戦を受け入れる師団長を射殺、玉音放送を中止すべく録音盤を奪取しようとするなど、日本の歴史の転換に伴う様々な混乱や軋轢が一夜のうちに噴出。様々な立場の人々の思いや行動を追いながら、8月15日正午に玉音放送が電波の乗るまでの24時間を中心に、緊張感溢れる演出で綴られる。1967年公開当初大ヒットを記録。
上映後は、劇中で近衛師団参謀の「石原少佐」を演じられた俳優の久保明さんが、この日のゲストで登壇された(久保さんは監名会105回の主演映画『潮騒』上映時にもゲストとしてご参加)。インタビュアーは元キネマ旬報編集長の植草信和さん(監名会118回、122回インタビュアーをご担当)。司会進行は俳優の吉沢果子さん。
久保さんはこの作品にご出演当時は31歳で現在は80歳。ピンクのストライプシャツに淡いアイボリーのジャケットという夏らしい装いにスマートな立ち姿。青春映画で人気を博した頃と全く変わらぬ爽やかな微笑みで登場された。久保さんご自身はこの上映会で、久々に本作をご覧になり、当時の日本はこんなに大変なことがあったのかと改めて感慨を抱かれたという。
戦後は青春映画の人気スターとして活躍された久保さんは、ご出演作の中でも最も印象深いという主演映画『潮騒』は大ヒット。映画館に観衆が入りきれずにドアを開けたままで上映したという伝説も残る。そんな久保さんご自身の戦争体験として、学童疎開先の茨城や秋田でひもじい思いをしたことに始まり、東京大空襲に見舞われた折には、当初は火の手がまだ上がっていない方向へと逃げたところ、次兄の機転で焼け切って火の消えた場所へと向かった方がむしろ安全だと判断し、人々とは逆の方向へと一晩中逃げ回った末に、なんとか無事に生き延びられたという壮絶な思い出を語ってくださった。
また、当時の多くの少年達と同様に兵隊に憧れたという久保さん。将に本作にも描かれた玉音放送が流れた折は、低学年ゆえ生放送は耳にしなかったものの、敗戦の報に接した際は、幼いながらも悔しく悲しい思いが込み上げてきて「わんわん泣いた」と振り返られ、本作でも様々な人々がそれぞれに抱いた、「時」の空気を語られた。
なお、本作の出演者の多くは既に鬼籍に入られたが、名立たる豪華な俳優達が多数出演。多くの俳優陣をさばいた岡本監督の手腕が光ると同時に、改めて観るエンドロールは出演シーン順に俳優名が表記され、表記順が大きな問題にもなることも多いクレジットにも細やかな配慮がなされており「見事な判断ですね」と植草さんもご指摘。
こうして記念碑的な大作を堪能した今回の夏の上映会は、戦後70年という節目に、終始観る者を引き込む映像で現在も精彩を放つ本作を通し、敗戦当時の人々の語り尽せぬ思いが、今の世にも引き継がれていく印象深い上映会となった。 |