暖冬の影響で平年よりも暖かい日が続いた2015年の秋、ようやく初冬を感じる寒さが訪れた11月28日(土)に、「監名会 第126回」が京橋のフィルムセンター小ホールで開催された。上映作品は神山征二郎監督の『月光の夏』(1993年)。原作・脚本は毛利恒之氏。
出撃前の最後の思い出にピアノを弾き、戦死していった若き特攻隊員の実話をもとに描かれる。そのピアノは老朽化で廃棄処分寸前だったが、当時の演奏に立ち会った元音楽教師が思い出を語ったことで話題となり、平和の記念碑として保存されることになった。それを契機として、それまで伏されてきた、エンジン不調などで特攻から引き返した隊員たちを幽閉していた"振武寮"の存在が明らかにされる一方、半世紀を経て元特攻隊員と元教師が再会。思い出のピアノと再会した元隊員は、当時を振り返りながら『月光』を奏でた。
上映後はゲストとしてお招きした神山監督にお話を伺った。司会進行は俳優の吉沢果子さん。
神山監督はダークグレーのスーツにネクタイという出で立ちでご登壇。本作は22年前に戦後50年を視野に入れて作られた作品で、当時50歳代だった神山監督が『遠き落日』『ひめゆりの塔』など立て続けに制作された時期の一作。俳優座から独立した仲代達矢さん(監名会120回ゲスト)を中心とした株式会社仕事からの依頼作で、1993年3月に話を受け、同年4月20日頃にクランクイン、6月には公開というスピード制作だったという。
公開当時、主演の仲代さんが初日の客入りを心配され、ご自身が主宰される無名塾の生徒たちを初日の銀座シャンゼリゼ劇場に呼び寄せたものの、予想以上に多くの観客が詰め掛け、集めた生徒たちを急遽帰らせたというエピソードも披露された。それほどの人気の出た本作は、神山監督の製作された30本余の作品のなかでも、2,3番目にヒットした作品だという。
その一方で、神山監督はこの映画の監督を引き受けた当初から、右派左派どちらの側も思い入れのある題材ゆえに、特攻隊を描くことはかなり難しいと感じていたという。特攻死した人を無闇に褒め上げたり、逆に迂闊にその魂を冒涜することがないように、慎重に精査しつつも、何よりもこの映画を通じて、この作品を観たすべての人々にプレゼントを届けられるようにと、心を砕いたと語られた。
また、神山監督が特に描きたかったシーンとして上げられたのは、本作のラストシーン。澄み渡る青空に、真っ白な雲が流れ、そこに特攻に出撃した若者たちのアップが写しだされる。その後、彼らは日本製の5倍もの威力があったというアメリカの砲弾攻撃に曝され、多くが撃沈される運命にあったという。こうした特攻隊の出撃後の姿こそ「描きたかった」と語る神山監督。鉄砲があたったらどれほどの肉体的苦痛があるかということも含め、個人にここまでの痛みを強いて戦争を続行した国家の在り方とは、というところにもお話は及び、戦争という現実を生きた日本人、一人一人の心と痛みに寄り添う神山監督の視点が浮かび上がる。
今回も本作と監督のお話を通し、戦中に人々が体験した様々な思いを受け止めると同時に、改めてその体験をどう後世に伝え、生かしていくのか、戦後70年の節目に気持ちを新たにする感慨深い上映会となった。 |