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2016年3月5日
第127回 「わが愛」
おはなし:俳優  有馬稲子  さん  
インタビュアー:エコール・セザム社主 藤井秀男  さん

 桃の節句も過ぎ、春めく陽気の一日となった3月5日(土)、京橋のフィルムセンター小ホールで「監名会 第127回」が開催された。上映作品は、井上靖の『通夜の客』を原作に、八住利雄が脚色、五所平之助が監督した『わが愛』(1960年)。

 物語は、敗戦後四年目の秋の夜、元新聞記者の新津礼作が急逝するシーンから始まる。その通夜の席へ不意に現れたのは、新津の家族も元同僚も面識の無い喪服の女客。新津の死顔をそっとのぞきこみ、「水島きよ」とだけ名乗り立ち去る。実はこの「きよ」は、新津が敗戦後に新聞社を辞し、全てを捨て単身で山に籠り取り組んだ『中国塩業史』執筆を、陰から惜しみ無い愛情で支え抜いた女性だった。年の離れた男性に憧れ、尽くし続けた「きよ」の愛の軌跡を回想する形で物語は展開する。
上映後は、本作に主演された有馬稲子さん(監名会 第62回にゲストでご参加)をゲストに、出版社エコール・セザム社主の藤井秀男さんをインタビュアーにお迎えし、お話を伺った。司会進行は俳優の吉沢果子さん。
有馬さんはモダンな斜めストライプのジャケットに、主演当時と変わらない艶やかなオーラを放ちながらご登壇。有馬さんのウィットの効いた語りと、藤井さんの軽快なインタビューで、会場は終始和やかな雰囲気に包まれた。

 昭和を代表する名女優の一人、有馬さんにとっても、『わが愛』は、ご出演された約70作品の中でも『浪花の恋の物語』『東京暮色』『夜の鼓』等と並び、ご自身選ベスト5に入る作品だという。もともと、井上靖作品の熱心な読者だった有馬さんは、特にこの原作は一文一文の「文章まで覚えているくらい好きだった」とのこと。本作冒頭の通夜のシーンの淑やかな喪服姿は、最も喪服の似合う女優としても話題になった。この「きよ」という役柄は、当時、平坦ではない恋路を歩まれていた有馬さんの境遇とも重なり、今改めて本作をご自身で鑑賞しても自然体で演じていたことがよく解ると振り返られた。
一方、藤井さんも、撮影当時、有馬さんの美しさが際立つ27歳という年齢もさることながら、実生活においても苦しい恋愛を経て、名優•中村錦之助との愛を育み始めた時期ゆえに、さまざまな経験が一途な愛を貫く演技へと結実し、まさに「きよ」役に適任だったとご指摘。
作中、10代の「きよ」は新津から「大きくなったら浮気しようね」と囁かれ、それ以来ずっと新津に思いを寄せ、戦時下の空襲警報が鳴り響く中、久々に再会した新津に一夜を捧げる。藤井さんがこうした「女性の心理」を問うと、有馬さんは、若い「きよ」は新津の囁いた言葉に「魅惑され」、後々まで魂に刻印されたのだと解説。続けて、藤井さんから、若く美しい女性が身も心も自分に捧げてくれるという状況は、「世の中年男性の願望」では?とのご意見がでると、有馬さんも『わが愛』は特に男性陣に人気が高かったようだと述懐。
また、五所監督が現場では俳優をのせて演じさせる監督であったことや、ベテラン俳優陣に恵まれた愛溢れる心地良い撮影現場であったことなど、数々のシーンにお話は及んだ。
他にも、ロケ地撮影時の小さなエピソードとして、お料理上手の有馬さんが、宿泊した民宿のご家族に連日手作りの夕飯を振る舞ったり、ご近所の方々向けに野菜のドレシッング講習会を開催されたなど、微笑ましいお話も披露された。

 現在も有馬さんは、朗読ミュージカルなどを含め、精力的な活動を繰り広げられている。折しも本会の上映会当日は、池袋の新文芸坐でも、有馬さんご出演作『浪花の恋の物語』(1959年)が上映され、言うなれば「有馬稲子デー」。女優としても、一人の女性としても、昔も今も変わらず潔く生きる有馬さん。そのお姿から、時代を先取りする女性像が浮かび上がり、この度も実りの多い上映会となった。

(文:菅原英理子 写真:写真:岡村武則)





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