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2016年9月23日
第129回 「野菊の如き君なりき」
おはなし:脚本家  山田太一  さん

 秋の気配が深まった9月23日(金)、京橋のフィルムセンター小ホールで「監名会 第129回」が開催された。上映作品は『野菊の如き君なりき』(1955年)。原作は歌人の伊藤左千夫が明治39年に発表した小説『野菊の墓』。木下恵介監督が脚色し、自らメガホンを取った。
 物語は、故郷を久々に訪れた老人が、遠い少年の日を回想する場面から始まる。村の旧家の次男に生まれ育った政夫は、2つ年上の従姉の民子と幼い頃から仲むつまじい。15歳の秋、ふたりは互いの胸に抱く淡い恋心に気付く。しかし、大人たちは、政夫を寄宿学校へ向かわせ、民子には縁談を持ちかけ、二人を引き離す。ある日、病に伏した民子が政夫の手紙を抱きしめたまま息を引きとったと、政夫に知らされる。民子の好んだ野菊の花を墓前にたむけ、老人となった政夫の遠い日の純愛が綴られる。
 上映後は、木下監督とご縁の深い、脚本家の山田太一さんをゲストにお迎えしてお話を伺った。司会進行は俳優の益田悠佳さん。 

 当日の山田さんはグレーのジャケットに、爽やかな微笑みをたたえてご登壇。客席には、木下作品には欠かせない俳優である石濱朗さん(第78回,第88回,第104回,第116回にてゲスト及びインタビュアーとしてご参加)もお見えになり大盛況となった。
山田さんは大学卒業後に松竹の大船撮影所に入所。木下監督の『楢山節考』の撮影現場に急に配置され、事情が解らないまま、ちらちら雪の降るしんみりとしたシーンで、大量の雪を降らしてしまい、ひどく叱られたという下積み時代も経験する。後にスクリプターや助監督、追って脚本を口述筆記で仕上げる木下監督の筆記係なども務め、木下監督が黎明期のテレビ制作に活動の場を移してからも、ともに活躍された。

冒頭、山田さんは本作を「うまい、隙がない」と木下監督の手腕を絶賛された。単純なお話をゆっくり抑制のきいた速度で描き、その後に、絶妙なタイミングで誰もが涙ぐむシーンへといざなうと、またさっと次の展開へと移る。こうした演出テクニックは、たとえ同じ脚本であったとしても、他の監督には真似出来ないだろうと感慨深く語られた。また、原作を「老人の回想」へ変換した点も「ものすごいアイディア」とご指摘。その効果で若かりし恋の思い出が純化され、より美化されたという意味でも、説得力が増したという。 
加えて、本作の回想シーンに採用された白い卵形の「枠」も、リアルではないピュアな美しいお話だと強調する効果をもたらしたと解説。この白枠は、野外ロケなど撮影現場の複雑な状況下で、カメラの周りに強いライトを当てて縁取りを作るという難しい技。そんな玄人技を駆使し、映像一枚一枚の美しさが際立つ、映像勝負と言える作品が仕上がったのだという。
本作のような、ピュアで繊細な美しい物語を得意とする一方、トルストイやチェーホフを彷彿させる、長年連れ添った夫婦の愛憎劇を描く木下監督には、辛い内容の作品も多数あるという。このような対極にある作品群を、交互に作った点にも言及された。
また、戦争下で盛り上がったロマンティシズムやヒロイズムは地に落ち、リアリズム主流となっていた山田さん若かりし日。当時は、木下作品はややセンチメント過ぎると思うこともあったという。そんな折、立原道造や堀辰雄の文学に憧れつつ、彼らが無自覚にセンチメンタルな文学を創作していると思っていた当時の山田さんは、後に立原道造が「私たちはセンチメンタルであることを恐れずにいく」と記した『センチメンタル宣言』を目にし、立原達が意識的にセンチメンタルを選択していたことを知る。そこで、木下監督もまた『センチメンタルの確信犯』だったのだと、山田さんは深く悟ったという。
こうした山田さんご自身の書かれる脚本や小説のような軽妙洒脱な言葉選びと、穏やかな語り口で披露されたお話に会場は魅了された。柔軟な観点から木下作品を見つめ直し、豊穣な世界を追体験することで、この度も実りの多い上映会となった。

(文:菅原英理子 写真:写真:岡村武則)





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