紅葉が見頃を迎えた11月24日(土)、国立映画アーカイブ(京橋)の小ホールで「監名会 第138回」が開催された。上映作は巨匠・小津安二郎監督の『小早川家の秋』(1961年)。宝塚映画創立10周年記念作品である。
舞台は京都、伏見の造り酒屋。当主の小早川万兵衛(中村鴈治郎)は、事業を長女 文子(新珠三千代)の婿 久夫(小林桂樹)に引き継ぎ、悠々自適な生活。早世した長男の妻(原節子)への再婚話や、婚期を迎えた次女の紀子(司葉子)への縁談が次々と持ち込まれる中、たびたび家を空ける万兵衛。かつての愛人 佐々木つね(浪花千栄子)の旅館へ通っていたことを突き止めた文子になじられる。ほどなくして起きた万兵衛の心臓病の発作を切っ掛けに、家族の心は揺れ動く。
上映後は、小早川家の末娘を可憐に演じた司葉子さん(監名会57回、100回、130回にもご参加)をゲストにお迎えして、元キネマ旬報編集長で映画ジャーナリストの植草信和さんがお話を伺った。司会進行は俳優の竹内千笑さん。
司さんは薔薇色のツイードジャケットに黒のスカートと艶やかな装い。本作との久しぶりの再会に微笑みながら「感慨無量です」。
当時は大手映画会社間で専属の監督と俳優を制限する「五社協定」が厳しい時代。松竹所属の小津監督を東宝に招聘したいプロデューサー 藤本真澄氏の尽力で、前年に小津監督の松竹映画『秋日和』へ東宝所属の司さんと原節子さんが出演。その見返りに小津監督による東宝作品が実現した。
小津監督の演出について司さんは「小津先生は最初から白いキャンバスにいろいろな色を塗っていくのが基本。それぞれの役者に対し、まずご自身で演技をして見せる。役者はそれをいかにリアルに真似るか、なのです」。そのため、演技に自らの工夫を凝らし過ぎた森繁久弥さんはNGを連発。「小津先生は役者が勝手に演技するのはお気に召さないのです。素直な者の勝ち。何もできない役者の方が逆にいいのかもしれません。小津先生にとって役者はすべて自分の分身です」。一方、本作では終盤の短いシーンのみ出演された小津作品常連である笠智衆さんも、監督の壮絶なしごきに遭遇。その噂を耳にした役者陣は凍り付いたという。
小津監督の強いこだわりは、東宝の撮影所が総力をあげて設えた、関西独特の老舗造り酒屋の風情にも現れている。杉村春子さん、浪花千栄子さんという東西の大役者が脇を固め、終始存在感のある佇まいの中村鴈治郎も小津監督の意向を見事に体現。「この映画に出てらした方々はみな、小津先生のお気に入りばかりです」と、司さん。
この時期、司さんは大作への出演が立て続く。植草さんは「代表作がずらり。大車輪のご活躍でしたね」。司さんも「この頃は骨と皮。入院したいとさえ思ってました」と打ち明けた。
司さんはデビュー当初、映画出演は最初の一本だけのつもりだった。次々と話題作に抜擢され続けてはいたが、「やはり自分は女優に向いてない」と密かに感じていたとのこと。しかし、小津監督との出会いで「あと五年は続けてみよう」という思いが湧き上がり、その後の長い女優人生へと?がったという。小津作品への出演が契機となり、黒澤監督の『用心棒』にも出演。小津監督との出会いが司さんの人生の転機だったと語られた。
「特に司さんと原さんとの共演シーンがとても多いですね」という植草さんの言葉に、司さんは「撮影中の2ヶ月間、毎日一緒に食事をして休みの日も共に過ごし、とても親しくさせていただきました」。現場近くの明石の海まで泳ぎに行かれた際には、泳ぎが得意な原さんが沖の向こうの淡路島を指して「あそこまで泳いでくるわ」と向かおうとされ、荒い波を見た司さん達が万が一を考えて懇願し、なんとか思いとどまってもらったそうだ。「黒い水着に赤いリボンで髪を結った原さんが、美しい夕日を背景に明石の砂浜にお立ちになる姿は、本当に素晴らしかったです」
独特の美学で構築される小津監督の撮影現場の気配を追体験し、昭和の美の象徴とも言える司葉子さんの存在感を存分に堪能した上映会であった。 |