インターネット エクスプローラーダウンロード
推奨環境:IE5.5以上



 HOME > 監名会 > 監名会リポート


2019年11月30日

第142回 「五番町夕霧楼」

おはなし:俳優  司 葉子  さん ・ 俳優  宝田 明  さん  
インタビュアー:元キネマ旬報編集長  植草 信和  さん

 枯葉舞う季節となった11月30日(土)。国立映画アーカイブ(京橋)の小ホールで「監名会 第142回」が開催された。鈴木英夫監督の『その場所に女ありて』(1962年 脚本は升田商二と鈴木英夫によるオリジナル)。高度経済成長期の1960年代の広告業界を舞台に、男性社会に果敢に挑むキャリア・ウーマンの姿が描かれる。 
物語の主人公 西銀広告社で働く矢田律子(司葉子)は、仕事が生き甲斐を感じている営業ウーマン。巨額の広告費が投入される難波製薬の広告コンペを巡る攻防戦の中、律子はライバル会社 大通広告の敏腕営業マン坂井浩介(宝田明)と出会い、関係を持つ。様々な裏切りにあいながらも、働く女性として力強く道を切開いていく。
上映後は主演の司葉子さん(第57回、100回、130回,138回にご参加)、宝田明さん(第84回にご参加)をゲストに迎え、元キネマ旬報編集長で映画ジャーナリストの植草信和さんがインタビュアーを務めた。司会進行は俳優の竹内千笑さん。
司さんはレモンイエローのスーツにブルーのブラウスというフェルメールカラーの装い、宝田さんはライトグレーのジャケットにダークなネクタイでご登壇され、お二人の登場で会場は一気に盛り上がった。

 遡ること57年前、昭和37年の公開時の司さんと宝田さんは共に27歳。2年後の東京オリンピックを控え、東京都が世界初の1000万都市となり、テレビの受信者も1000万を超え、電通や博報堂など広告代理店の時代が到来していた。 宝田さんは東宝演技研究所を経て東宝ニューフェイス第6期生として入社。その半年後、毎日放送の秘書室に在職中だった司さんは、毎日グラフの表紙を飾ったことで東宝の目に止まり、丸山誠治監督と共演の池部良の熱烈なオファーを受け、『君死にたまうことなかれ』(1955年)で主演デビュー。宝田さんによると「軍隊と同じで、撮影所には入社年次による権力の序列がありましたね」。司さんも「半年でも宝田さんは大先輩。そんな宝田さんが相手役ですから、とても緊張しました」。さらに「当時の私の目標は先輩女優ではなくて、宝田さんのような男性俳優。ライバル意識をもってましたね」と明かす。
久々に本作を鑑賞した司さんは、ご自身の演技について「立派にこなしていましたね」と感慨深げ。「この役は、タバコを吸い、お酒も飲みっぷりがよい女性。麻雀も一から教わりました。初めて演じた『大人の女性』でした」。宝田さんからの「煙草を初めてたしなんだ葉子ちゃんの所作が初々しかったよね」という言葉に「あら、上手だったじゃないの!」と司さんは笑顔で返す。
厳しい演技指導で評判の鈴木監督について、司さんは「 私は演技の勉強をせずに入社したので、できなくて当たり前と思ってました。でも、鈴木監督はいつも『葉子ちゃん、いいよ!』と気持ちを盛り上げ、よいタイミングにさっと撮ってくれました」と述懐した。植草さんに「あの時の司さんは本当に酔ってらしたのですか?」と言わしめる程の演技力を示した『お酒に酔った律子が坂井と夜の街を歩くシーン』は必見だ。
司さんは本作について「撮影を終え、深夜に帰宅する際、私は世の中で一番最後まで働いていたんだという満足感に満ち溢れていました。それが画面にも反映していますね。この作品へ出演して良かった、映画界に入って良かったと感じてました」。
宝田さんも当時を懐かしみながら「この頃の葉子ちゃんは、一本ごとに美しく成長し、役柄を深く理解し、表現力も豊かさを増し、着実にステップアップしていく様子が、共演している私にもはっきりとわかりました」と振り返った。
並み居るスターが共演し、青春映画から文芸映画まで幅広い作品を世に送り出した円熟期の東宝映画。本作はその中でも異彩を放つ一作。躍動する日本社会を映し出した歴史に残る傑作と、スターのお二人の変わりない輝きに圧倒されたひと時だった。

(文:菅原英理子 写真:岡村武則)





組織概要   入会案内   個人情報保護指針   よくある質問   お問い合わせ

Copyright (C) 1981 - CurrentYear MCAC All rights reserved.
 
Powered by L-planning