小春日和の12月16日(木)、「監名会 第150回」が開催された。新型コロナウィルス感染拡大予防のため、国立映画アーカイブ(京橋)は入館時の検温あとマスク着用が恒例となっている。
上映作品は文芸大作『紀ノ川』(1966年)。ベストセラー作家•有吉佐和子の同名小説を原作に、女性映画の名匠•中村登監督がメガホンを取った。主人公を演じた司葉子さんは、第40回キネマ旬報主演女優賞、第9回ブルーリボン主演女優賞など、その年の7つの演技賞を独占している。
時は明治32年。22歳の紀本花(司葉子)が、紀ノ川の上流から下流の旧家•真谷家へと船で嫁入りするシーンから始まる。夫•敬策(田村高廣)を支え、戦前、戦中、戦後を生き抜く姿が、長女の文緒(岩下志麻)や孫の華子(有川由紀)と三代に渡る母娘の対比とともに描かれる。明治、大正、昭和と三つの時代を駆け抜けた女性の生涯が紀ノ川の流れと重なる。
上映前、主人公の花を演じた司葉子さん(監名会第57回、100回、130回、138回 、142回にご参加)がゲストとして登壇、インタビュアーは映画評論家の寺脇研さん(当法人前理事)。司会進行は俳優の竹原名央さんが勤めた。司さんはゴールドとホワイトのニットジャッケットにダークバイオレットのパンツスタイルという装いで艶やかに微笑む。
寺脇さんは「本作は監名会で最多上映作品(第57回、100回、150回の三回)、大作鑑賞の満足感がある傑作です」「第100回、今回の第150回と、司さんは常に『ここぞという時』のゲストです」。司さんは「大事な節目に呼んでいただき光栄です。映画が大好きな皆様と一緒に鑑賞したいと思って今日は参りました」。続けて寺脇さんは「気が早いですが、ぜひ第200回もいらしてください」。さらに当上映会の歴史について「主催者の竹下さんが1981年に会を立ち上げ、ほぼ1人で20年継続した後に、2001年からNPO法人として活動して20年、現在に至ります」と紹介。司さんも「今日の上映会も、監名会の生みの親である竹下さんがコツコツと続けてくださったお陰ですね。映画人として感謝しかありません」と、ねぎらいの言葉で応じた。
製作当時は厳格な五社協定に阻まれ、東宝の看板スター司さんの松竹作品への出演は難航。流行作家の有吉佐和子の後押しが功を奏したという。当時を振り返り司さんは「有吉先生にはたいへん可愛がっていただきました。『書き下ろし作品を届けるから、葉子ちゃんがやりたい役を教えて』と何かにつけて声を掛けてくださって。『他の女優さんはね、みんな私に電話してくるのに、あなたは全然電話してこないわね』とお叱りまでいただいて。幸せ者です」「有吉先生は私の育った旧家に興味がおありで、私の実家にも訪ねてきてくださいました」。寺脇さんも「司さんご自身が日本の伝統や歴史の重みを背負う旧家のDNAをお持ちだったので、本作主役には何としてもと有吉先生も思われたのでしょう」と頷く。
撮影直前、司さんは作品のスケールの大きさに圧倒され「私には出来ない」とくじけかけたという。「でも、ちょうどその一年前に亡くなった私の母へ思いを馳せたのです。旧家に嫁ぎ戦後も苦労した母。『そうだ、あの母を演じたらいいんだ』と決心しました」。同時に「今後、映画撮影所で『一生もの』を手掛けることは不可能だから今しかない、と周囲に背中を押されたのです。『やらなきゃ』という気持ちになりました」。寺脇さんも「『紀ノ川』は有吉先生の代表作。司さんも女優として大活躍の円熟期の作品。すべてが『なるべくしてなった』絶妙なタイミングでしたね」。
熱気に満ちた松竹の撮影現場では、中村監督が「カット!」と叫びながら興奮のあまり撮影用櫓から落ちたり、五寸釘を踏み抜いてしまうなど、当時の撮影所ならではエピソードも披露された。
コロナ禍で見送られてきたゲストの来場に感激する客席の熱意に応え、司さんは上映後も再登場。「晩年の花の役と今の私の年齢が同じくらい。腰を曲げて上手に年寄りを演じていたなあと感心しました」と微笑み「この映画に出していただいたことは、私の一生にとっても女優としても大きな財産だったと改めて思いました。今日も皆さんに見ていただき感謝の気持ちでいっぱいです」。
近代日本の三時代を逞しく生き抜いた花の姿は、コロナ禍にもがき激動の時代に奮闘する現代の我々にも通じる。次回より新たなスタイルでスタートする監名会。名作鑑賞を愛する一同の思いは時代を超えて受け継がれていくことだろう。熱い思いと希望を胸に上映会は閉幕した。 |