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第009回 「関白宣言」松林宗恵
 ゴルフは時に人と人との結びつきを濃くします。松林監督とは小林正樹監督のご紹介でゴルフを通じて先ず知り合いました。その日から裸のつき合いが始まりました。その頃松林さんはもう東宝では過去の人のような扱いでした。「荒木さん、何か仕事をしましょうや」と松林さんから話しかけられます。その頃私は博報堂に勤務していましたのでテレビでも良いよとのことでしたが、私は松林さんに映画を再び撮って頂きたいと思いました。そんなある日娘の美也子から1本の音楽テープが渡されました。まだ中学生だった娘がふとした機会に手に入れた『関白宣言』というさだまさしの新曲のテープでした。聴きながら私の中にドラマが沸いてきました。これは良い素材と考えた私は東宝映画に松林さんで映画化したいと申し入れました。亡くなった椎野さんから依頼を受けていた私は東宝映画の外部アドバイザーになっていましたので、企画を提出することは自然なことでした。だが、まだ発売前の曲ですし変な題名です。
その上松林さんを指名しての企画です。検討に時間がかかっている内にレコードは発売され大ヒットです。急に正月映画にと話が進みました。脚本は私が自分で書きました。主役はさだまさしを予定していましたが、決定が遅れたために使えません。私はさだの弟の繁里君を起用することを提案しました。さだのファンにとって他の役者よりイメージが一致します。財津一郎の起用にも東宝から彼は撮影所で評判が悪いからとクレームがつきました。脚本にも陰で批判がありました。然し、私は自分の狙いを通しました。さだまさしをたった1日で5役で出演させるなど離れ業をしました。本当のプロの映画作りを松林さんと示しました。お陰様で公開されるや大好評で館主さんから感謝状も頂きました。松林監督にも『連合艦隊』という大作の依頼がきました。若返りだけが映画の復興には繋がらないことを示せて本望でした。     ☆松林宗恵監督の記念館が、故郷の島根県で開設されました☆
(映画製作者 荒木正也)





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