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2002年10月
第001回 「子どもシネマスクール」(前編)
☆はじめに
「本物の映画を伝えたい。未来を生きる子どもたちのために」映画がこの世に誕生してから百有余年。
その間に、わが国では数え切れないほどの映画が製作されてきました。
過去の古典文学を題材にしたものもあれば、その時代の今を生きる人々の人間模様を描いた作品もありました。
また、時には戦争や犯罪など、社会の問題をレンズを通して鋭く描写することもありました。
どの作品も、その時代の生き証人であり、映画の歴史は先人たちの生きた足跡とも言えます。
過去の作品は、今を生きる私たちの羅針盤の役割をも果たしてくれます。
NPO法人日本映画映像文化振興センターでは、先人たちの残した名作を広く伝えていきたい、という思いで東京都内を中心に、監督をはじめ映画製作関係者を招いて上映後話を聞く「監督と共に名画をみよう会」(略称 監名会)を行なってきました。そして、今回、未来を生きる子どもたちに本物の映画の素晴らしさを、映画製作の現場を通して知ってもらおうと、後藤俊夫監督(『マタギ』、『こむぎいろの天使』他)を講師としてお招きして、「夏休み子どもシネマスクール」(子どもゆめ基金助成活動・西東京市教育委員会後援)を西東京市内で開催しました。
☆「映画をつくる側を体験すれば、映画はもっと面白くなる」
7月25日(木) 開校式と『マタギ』上映会(西東京市民会館)
「プロのスタッフから映画のつくり方を学んで、映像制作を体験しよう!」
この呼びかけに集ってくれたのは、男女合わせて11名の子どもたち(小学生10名、中学生1名)。
このメンバーが、後藤監督はじめ大人の役者、スタッフと一緒に24分の短篇映画をつくることになる。
午前9時から開校式が始まった。最初は、日本映画映像文化振興センター、三浦朱門理事長の挨拶。
「みなさんは、毎日、テレビのアニメやドラマを通して映像に触れていると思いますが・・・」、良い意味でも、悪い意味でも、テレビという存在は、映像というものを子どもたちにとって身近なものとしているのだ。
「今回のスクールで映画製作を知ることによって、テレビをより良く観るためのきっかけになればと、思います。また、それとともに、大きくなったら、映画の元である小説を読んでもらいたい、と思います」
小説家であるとともに教育者でもある三浦理事長の、子どもたちへの示唆に富んだ挨拶が終わり、後藤監督の『マタギ』(昭和56年製作 ベルリン映画祭・ユニセフ監督賞)の上映が始まる。
子どもたちの座っている後方には16ミリ映写機が設置してあった。
今日はビデオではなく、実際のフィルムを使っての上映会。場内が暗くなってきて、映画がスタート。
テレビでは体験できない、暗闇の中での映画鑑賞が始まった。
上映後、日本映画映像文化振興センター副理事長で、映画評論家である寺脇研さんの進行で映画についてのディスカッションに入る。恥ずかしがっているのか、子どもたちの意見がなかなか出ないなか、寺脇さんの自己紹介を兼ねた話が始まる。
「普段は文部科学省で働きながら、大好きな映画を多くの人に知ってもらいたい、たくさんの良い映画を観られるようにしたい、そう思ってこの団体の活動を始めました。みんなも今回のスクールで、つくる側を体験することによって、見る楽しみがもっと大きくなると思います」、寺脇さんの話が進むうちに、子どもたちの意見もポツリポツリと出始めてきた。
「自然って厳しい」
「熊が死んだ最後がかわいそう」
「映画つくりって楽しそう」
秋田の山奥の大自然を舞台にして、少年と犬(猟犬)との交流と猟師(マタギ)として生きる老人(西村晃)の熊討ちにかける執念を力強く描いた作品に、ゲームなどのバーチャル的擬似体験に慣れている子どもたちも、暗闇の中で観る映像に圧倒されたようだった。
「この映画は、秋田県が舞台です。みんな秋田の方言は分かったかな?」
子どもたちが感想を言い終えた後、寺脇さんは子どもたちに、そう問いかけた。
「言葉は分からないところがあったけど。演技があったから・・・」
この答えを寺脇さんは見逃さなかった。
「そう、その演技が映画にとっては、大切なのです。もし、文字や言葉だけだったら、あの秋田の言葉を理解できたかな?」子どもたちの答えはノーであった。
「演技がある、風景がある。これが映画の特徴です。そして、演技にとって大切なこと、それは気持です。
相手にどう伝わるか、観る側の気持を考え演じることが大切なのです。
それは、このスクールで今後、みんなも体験していくでしょう」第一日目の午前中は、映画鑑賞とディスカッション(少々おとなし目ではあったが)を通して、子どもたちは、テレビとは違った映画の世界の入口に立つことができたのかもしれない。
昼食は、子ども達は各自持参した弁当を食べる。未だ慣れていないせいか黙々と食べている。
午後の授業が始まった。
ここからは講師の後藤監督の登場。
後藤俊夫監督は「マタギ」「イタズ」をはじめとする名作を数々撮っている現役の巨匠だ。
監督はまず、「大きな声で元気よく挨拶をしよう」「やる気を持とう」「製作を通して仲間を沢山作ろう」と映画作りの心得を話し、その後自己紹介をされた。
「助監督を18年間やったが、最初の頃は名前で呼んでもらえず、便所掃除などの雑用ばかりしていた」とのこと。
午前の授業に続いて、元気な声でもう一度子ども達の自己紹介と映画の感想を述べさせ、その上で製作秘話などを交え、丁寧に<映画ができるプロセス>を講議した。
「演技をすること」とは、すなわち「内面=心理的」と「外面=全身」による表現である。
この「内面」と「外面」によって観る者に感動を与えることができる。
そのためにはセリフを覚えマスターしなくてはならない。セリフを分かりやすく言うには、アクセント、リズム、イントネーション、ポーズ(間)、エロキューション(語り方)を訓練し、はっきり正確に言う(=表現)必要がある。
子どもたちはまるで俳優養成所の生徒のようにセリフの練習をしこまれる。
姿勢を正し、立ったまま、あ・い・う・え・お、と発声練習。昼休みの後、少し疲れ気味に見えた生徒たちは、軽い体操が効を奏したのか俄に活気づく。
さながら日頃の勉強疲れ(?)の鬱憤を晴らすかのように天にも届くような元気な声をあげる。
一日目にしてこの変わりよう、後藤マジックなのか。
発声を学び、実際にセリフの指導へ。
「こら!!タマ、いけません!」。監督の要請に応じて、子どもたちは、一つのセリフを懸命に完璧なものにしていく。
ほかの生徒の番でも、もぐもぐと練習に励む姿は見ていて微笑ましい。
3時に授業終了。
☆「名俳優たちも最初は素人子役だった」
8月5日(月)「こむぎいろの天使」上映と本読み
授業は午前9時から始まった。今日は最後の屋内授業。午前中は、後藤監督と一緒に、監督の第一回作品、「こむぎいろの天使」を見る。
富士山麓のとある村を舞台に、二人の少年が、親鳥を亡くした雀の雛を育て上げていく物語であった。
製作が今から二十数年前のものであり、正直な話、現代っ子で、しかも都会育ちの受講生(男子9名、女子2名)
たちが、はたしてこの作品を理解してくれるのであろうか、という一抹の不安が脳裏を過ぎった。
しかし、物語が進んでいくうちにその不安は吹き飛んでいた。
子どもたちはおしゃべりすることもなく、画面を見つめていたのだ。
子どもたちがいかに物語に感情移入していたか、それを物語る場面がある。
それは、主人公の一人、サブ君がお父さんに連れられてご馳走を食べにいく場面のこと。
何と、サブ君の目の前に盛られているのは雀の焼き鳥であった。
スタッフの大人たちの一部から笑い声が漏れる中、子どもたちは、画面の前で固まってしまっていた。
まさにこの時、受講生の子どもたちはサブ君になっていたのだ。
「私の作品は、自然がテーマだからいつの時代の人たちが観ても、理解できる」この言葉は、昼休みに、監督とお話したとき、監督が語った言葉。
やさしい眼差しの中に、映画監督としてのプライドを感じとることができた。
午後の授業は、実際の台本を使っての本読みの稽古。
「あのサブを演じた松田君も最初は素人だった」授業の冒頭、後藤監督はそう語った。
松田君とは、アニメーション映画『もののけ姫』で主役を務めた俳優、松田洋治さんのことだ。
名俳優もスタートラインは、今、監督の目の前にいる子どもたちと同じであったのだ。
この「夏休み子どもシネマスクール」からも将来の銀幕スターが生まれるかもしれない。
「映画をつくるにあたって三つの大切なことがあります」本読みの前に後藤監督の話が続く。
子どもたちは、真剣な眼差しで監督を見つめている。
「一つ目は、あいさつ。そして二つ目は、やる気。最後に、ともだちをつくるということ」監督、受講生、そして、スタッフの全員で、もう一度大きく挨拶した後、滑舌の稽古が始まる。
監督に向かって、半円形に並んだ11名の子どもたちが、順番に「あいうえお」、「かきくけこ」と発声していく。
「声が小さいよ」 「次の人は、前の人に続かないと!」監督の注意が、室内に響き渡り、子どもたちの間には緊張感が漂ってくる。しかし、監督は厳しいながらも子どもたちを追い詰めるようなことはしない。
注意をした後、子どもたちが、前より上手く発声すると、「よし! いいぞ!」
そう言って子どもたちを褒めることを忘れない。
滑舌の稽古で、芝居の雰囲気が高まってきたところで、いよいよ本読み、今日の段階では、役を振り分けず、それぞれが順番に役になりきって本を読んでいく。滑舌の時と同じように、厳しいけれど暖かい後藤監督の演技指導が続く。
「そろそろ休憩にしようか」休憩になったのは、午後の授業が始まってから1時間30分も過ぎた頃であった。
その間、子どもたちは、集中して授業を受け、稽古に励んでいた。学級崩壊など、現代っ子たちの集中力の無さが嘆かれている昨今、今回の授業を通して、教える側の大人たちの力量について考えさせられた。
後藤監督は、映画監督であるばかりではなく、教育者でもあったのだ。
(まとめ:木村昌資・桑島まさき・竹下資子)
第001回 「子どもシネマスクール」(後編)





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