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2000年11月04日
第068回 「非行少女」
ゲスト:高村倉太郎さん(撮影監督)、インタビュアー:寺脇研さん(映画評論家)
寺脇:まずはこの映画について思い出話からお願いします。
高村:浦山監督とはじめて仕事をしました。以前に川島雄三今村昌平監督の下にいたのでよく知っていましたが、寡作で慎重な作風・姿勢でした。若くして亡くなりました。
原作は「若江と三郎」、さえない題名なので「非行少女」としました。今村昌平が映画を見て「非行じゃない、まわりが悪い」と言ってました。社会現象を捉えて映像にしようと、内灘闘争をとり入れていますね。この映画は早く作れたはずでしたが、浦山監督は今村昌平と同じで納得しなくてはOKしません。主演の和泉雅子、浜田光夫は売れっ子だったので正月映画のために中断しました。ロケは前半を金沢で、後半は太平洋(北陸の深い海の情感は出ませんが費用の関係で)鹿島の海岸で撮りました。
会社の方針で和泉雅子を主演としましたが、和泉に非行少女役は無理で、浦山監督の強烈なイジメが始まりました。
寺脇:どのようなイジメを…。
高村:風呂に入るな、髪を洗うな、母親の付き添い禁止、もちろん演技にダメダメ…。
まだ15才の社会を知らない和泉にとっては、大変なショックでしたでしょうね。浦山監督を殺して自分も死ぬ、などと日記に書いていたと聞きます。監督の執念が徐々に和泉に影響して、下から睨みあげるような非行少女になっていきました。浦山監督がこの作品を作り、和泉雅子も作ったと言えます。
寺脇:鶏小屋の火事のシーンはリアルでしたね。
高村:松林と鶏小屋のシーンは、小屋の中はセットで外はロケ。鶏小屋が燃えるシーンは地域の消防団が待機していましたが、時間が大幅に遅れて明け方の4時になり、火を消そうとしたら2月の寒さで水は凍って出ず、大火事になって母屋が危ないほどでした。大ハプニング。鶏が何羽も焼け死んで、今だったら動物愛護協会からクレームがつくでしょうね。
寺脇:浦山監督は30代でしたが、技術的にも優れていましたね。
高村:とにかく中抜きをしない。これは時間を食いますが…。映画はつながって一つのテーマを表現するのが本来です。順番に撮っていることで感覚的に連続性を増しました。
寺脇:タイトル、最初の場面などから感じますのは、テーマの社会性だけでなく、内容に新鮮さがありますね。
高村:浦山監督以下、名画を作ろうとは考えていません。時代を経ても感動が残るものをこころざしました。最近の映画には一過性を感じてしまいます。十年後に評価されるか疑問に思うのです。
寺脇:人が集まるところでは映画のロケがやりにくくなっていると聞きますが…
高村:昭和34年ごろから難しくなりましたね。最近、地方振興のためにロケ規制緩和の傾向が出てきていますが…。渡り鳥シリーズではお祭りを再現してくれましたね。このころは観客動員数が年間12億人でしたから。今は1億人ですからね。映画が社会的地位を持てばロケも自由になるでしょう。今のままでは銀座ロケはだめでしょう。
それから、今の映画製作現場は分業的になりすぎています。撮影が終わるとカメラマンはいなくなる、ダビングは録音技師だけ。最後まで付き合ってはじめて自分の仕事の成否がわかるのではありませんか。スクリーンに映ったときが映画です。担当しただけで映画を作ったつもりになっていますね。
寺脇:今後の映画についてお聞きします。12月1日からBSデジタル放送開始でどう変化するでしょうか。
高村:いろいろな意見がありますね。フィルムはいらないとか。私はビデオ映像は映画とは似て非なるものと思います。画面がシャープになるだけでいいのか。また、ハイビジョンとフィルムのドッキングという技法もありますが、最初から終わりまでの流れを重視しなくてはなりません。1ショットだけ考えても駄目です。その前から続いていること、観客に見せるような撮り方をすることです。
寺脇:描かれる内容と流れが大切である、ということがよくわかりました。
最後に映文振センターにたくさんの知恵を拝借したいです。
高村:日本映画を見る機会が失われつつあります。映画館の数も8000から1000に激減しています。私も映画学校で教えていますが,日本映画を活性化させるためには、まず見せて、よさを感じてもらうことに尽きると思います。一緒に頑張りましょう。
(小泉 澄)





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