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2014年8月9日
第121回 「俺たちの荒野」
おはなし:脚本家  重森孝子  さん    美術 竹中 和雄  さん  
インタビュアー:映画評論家  寺脇 研  さん

連日の猛暑の折、僅かに暑さが和らいだ8月9日(土)に「監名会 第121回」が京橋のフィルムセンター小ホールで開催された。上映作品は出目昌伸監督の『俺たちの荒野』(1969年)。本作は、集団就職で上京した二人の青年と寂しさを胸に秘めた一人の少女との間の友情と恋愛を軸に、揺れ動く若者達の歓びと悲しみを描く。当時の社会派映画として米軍基地を舞台に作品群や、それまでの定番的な東宝の一連の青春映画などとは、一線を画す異色作として話題となり、その年の日本映画監督協会の奨励賞を受賞している。
 上映後は当初お話を伺う予定だった出目昌伸監督が体調の都合で欠席なさった代わりに、出目監督と交流も深く本作で脚本を担当された重森孝子さん、美術監督の竹中和雄さんのお二人が、この日のゲストとして登壇された。また途中から、この作品で助監督を務められた松本正志監督も登壇され、お三方それぞれの本作への思いを伺うという賑やかな時間となった。インタビュアーは映画評論家の寺脇研さん。司会進行は俳優の益田悠佳さん。また、今回の上映会の客席には、本作にヒロインの姉役でご出演された俳優の原知佐子さんも駆けつけてくださった。
 45年前、本作の公開当時は映画少年だったというインタビュアーの寺脇さん。この映画を観て衝撃を受け、同級生達と大論争を繰り広げたという。今、観ても新鮮な輝きを放つ本作について、ゲストの皆様にお話を伺った。
 ゲストのお一人、重森さん(脚本)は本作がデビュー作。それ以来45年間の執筆を支えたのは、ご自身の脚本の裏の裏まで深く汲み取り、映像へと結実させる出目監督との仕事で得た感動によるという。また、本作はこれまでの東宝の作風を一新しようとする監督の意欲作であった一方で、当時の製作会社の上層部の理解が得られず、出目監督はじめ大変な苦労があったとのこと。その経緯も含め、重森さんは「映画は監督の心」で出来上がると確信したという。
 また、竹中さん(美術監督)はご自身の「長い映画人生のなかでも、特に思い出深い作品」と語られ、撮影や音楽など才能溢れる製作陣に恵まれ、当時の製作フタッフ皆にとっても思い入れの深い作品だったと振り返られた。
 さらに、松本さん(当時助監督)は、作品のベースとして、出目監督や重森さん(脚本)のお二人が、それぞれ個別にトリュフォーの『突然炎のごとく』をオマージュしていたこと、そして、竹中さん(美術監督)の本作美術のトーンは出目監督が大学時代から好んだ印象派を彷彿とさせる色調で表現されていることに触れ、「映画監督と脚本家」、「映画監督と美術監督」とが互いに言葉に出さずとも、自然と感応し合っていたことを指摘された。
 なお、今回の上映会のために病室から丁寧なお手紙をしたためて下さった出目監督。その文中で、竹中さん(美術監督)について「こういった抽象的なものをリアルに表現する才に長けた人」、重森さんの脚本を「今顧みてもこの台本は素晴らしくユニークで、若い男や女の生理を端的に表現した『詩』のようである」とそれぞれに賛辞を送られた。また、この脚本に「演出のイメージを誘発させる瑞々しい『核』があり、すべて(演出、撮影、美術、音楽)をかけ算の飛躍をさせるものを備えていた」と語られ、将に製作現場での信頼関係と各自の豊かな才能の相乗効果で作品が高められたことを披露し「悩みながらも楽しい仕事であった」と綴られた。
 最後に重森さんは、今の多くの映画製作が当時の恵まれた状況と全く違う様子であることを嘆きながらも、出目監督と是非、新作に取り組みたいと語られた。当時の情熱を今と未来へと継承する新作への希望と期待を抱きながら、今回の上映会は閉幕となった。

(文 菅原英理子  写真 岡村武則)





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