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第001回 「ラピュタ阿佐ヶ谷」館主 才谷遼さん
 1998年秋、JR阿佐ヶ谷駅(北口)にオープンした「ラピュタ阿佐ヶ谷」は50席のミニ映画館だ。地下に小劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」、又3階にはレストラン「山猫軒」もあって、映画や芝居を鑑賞した後に食事をしながらおしゃべりが出来る。

“映画館主さんにきく”第1回目は、「ラピュタ阿佐ヶ谷」館主の才谷遼氏にお話をうかがいました。

──ラピュタという名前の由来は?
喫茶店でぼんやり考えごとをしていたらポンと頭に「ラピュタ」と浮かんで、それに決めました。

──建物を見ると宮崎駿さんの「 天空の城 ラピュタ」のイメージがあるのかなと?
始めはそんな考えはなかったんですが、宮崎さんとの長いつきあいもあって頭の片隅に残ってたのかナと。ここを建てる時に泥ナワ式に建築の勉強をしたり、色々な建物を見に行ったり、イメージとしては縄文杉の切株ですね。建物というのは大切で、ここは経済的な建物ではなく文学的なあるいは意味を求めないもの、禅みたいなもの、建っていることが自然で、自然と共生するものをつくれ!とワケのワカラン事を設計家に命じて(笑)。
──映画の仕事にかかわるきっかけをお聞きしたいのですが?
高校生の時に岡本喜八監督の「肉弾」をみてものすごく感動して、その後岡本監督に無理矢理に弟子入りして助監督になったんです。でも監督は「俺はオリンピックみたいな監督だから」(4年に1度撮る)といわれるので、その間テレビの助監督を少ししてました。僕は映画以前は漫画少年だったんです。結婚する時に漫画誌の編集を始め、出版社「ふゅーじょんぷろだくと」を設立しました。紆余曲折、七転八倒、いろいろありまして、「もののけ姫」の本がバカ当たりして儲かったお金でここを造る事になったんです。
──今後ラピュタ阿佐ヶ谷をどのようにしていきたいとお考えですか?
この近くにもうひとつビルをつくってスクリーンを増して、良い映画を提供し、ただ見せるだけではなくそれから先の事を考えていきたいと思っています。例えば映画の記録(日本にはアーカイブがない)とか、フィルムを利用して色々なことを伝えていく、映画制作を希望する若い人達を集めて何か企画をしたりとか、養成したりしていきたいと・・・。

──ラピュタ阿佐ヶ谷はまさに才谷館主の夢がいっぱい詰まったお城なんですね。ありがとうございました。 ロビーには、昔の映画台本が置かれていて、古い流行歌が流れている。映画館に来たという感じはしない。毎日顔を出すお気に入りの店に来たという感じだ。観客の層も幅が広く一人一人が満たされている様子だった。
(五十嵐 孝)
【ラピュタ阿佐ヶ谷ホームページ http://www.laputa-jp.com





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