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第026回 「深谷シネマ」  竹石研二 支配人
宿場町に灯る、名画の光
「歴史を今に記す深谷宿」
 中山道、十番目の宿場町として多くの歴史上の人物がその足跡を記した街、埼玉県深谷市。今でも、旧街道沿いを中心に古き良き佇まいを残すこの街で名画を上映を続けている劇場がありました。今回は、その劇場、深谷シネマ支配人、竹石研二さん(61)にお話を伺いました。
「横浜放送映画専門学院一期生」
竹石さんが生まれ育ったのは、東京の下町、墨田区向島。幼い頃から近所の映画館に足繁く通っていたとのこと。当時は、日本映画最盛期。「時代劇の三本立をよく観に行きました。あの頃は主役だけでなく脇役の俳優さんも光っていました」懐かしげに、そう語る竹石さん。やがて、映画青年に成長した竹石さんは、日本映画学校の前身、横浜放送映画専門学院に第一期生として入学します。そして、卒業後、様々な仕事を経て、日活に就職。
「映画上映活動から、NPO法人設立へ」
 1960年代から80年代にかけて、親子映画上映運動が全国各地で盛んに展開され、多くの名作児童映画が学校や地域の公共ホールで上映されていました。日活も児童映画に参入。竹石さんは、その部門に配属されます。「16ミリフィルムと映写機を担いで、各地の学校をまわりました」
 ところが、80年代後半以降、親子映画上映運動は下火になり、児童映画の製作本数も減少していきます。その頃、埼玉県深谷市に住まいを構えていた竹石さんは、地元の生協に転職することに。しかし、竹石さんと映画の関係は、その後も続きます。各地の生協は、演劇鑑賞会など文化活動に積極に取り組んでおり、竹石さんは、映画鑑賞会の担当になります。年に数回、市の公共ホールを借りて、名画上映会が始まりました。深谷市から映画館が無くなってから久しく、その上映会活動は市民から歓迎されます。そして、生協に転職してから十年の月日が流れた2000年4月、上映会活動を発展させ、映画上映のNPO法人を立ち上げます。「50歳の夢でした。映画を通して街を元気にしたい、その思いで」。
「映画、それはまちづくり」
 映画上映を通して街を元気にしよう、そのNPO法人の活動は、街の人々の共感を呼び、また行政をも動かします。竹石さんたちNPO法人のメンバーは、深谷市のまちづくりを進める会議に、空き店舗活用による映画館開設を提案します。それがまちづくり計画に採用され、2002年7月には待望の常設劇場、深谷シネマをオープンさせます。場所は、旧中山道沿いにある閉鎖された銀行。頑丈な造りの建物は防音効果も問題なく、また映写室は大型金庫を改造したもので万が一の火災事故でも大丈夫。しかし、深谷市で三十年ぶりの映画館の経営には苦難の道のりも。「正直なところ最初の二年は、無給でした」開館当初を振り返る竹石さん。しかし、シネコンでは上映されない名作上映や、お客様からのアンケートを参考にした番組編成が評判を呼び、固定客も次第に増えてきて映画館経営も軌道に乗り始めます。また、映画の上映だけでなく、行政や商工会議所と共催で「花の街ふかや映画祭」を毎年開催したり、深谷市をはじめとして周辺地域での映画撮影に協力するフィルムコミッションもてがけています。 その深谷シネマも来年三月には、市の区画整理の一環で、移転することになります。その場所は、現在と同じく、旧中山道沿いに位置します。そして新劇場の建物は、創業300年の旧造り酒屋を改装したもの。文化と歴史、そして映画人たちの熱い思いが醸し出す深谷シネマ。
 「映画は文化であり、人々の生活には欠かせないものです。その文化を通して、まちづくりに貢献したい」 無限に広がる映画の可能性を語る竹石さん。竹石さんと深谷シネマの活動は、これからも街とともに続きます。
(取材:四葉昌)
【深谷シネマ:http://fukayacinema.jp/
TEL.048-551-4592





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