私が生まれたのは昭和5年。
この世代は、昭和20年の敗戦を境にして青春時代を分断されてしまっている。
敗戦後、それまで禁じられていた欧米の文化や芸術、思想が洪水のように日本に押し寄せてきた。多くの若者がそれによって価値観の変更を迫られたのだ。私も欧米の映画に強い衝撃を受けた。
当時、私は毎日のように洋画を観て歩いていたのだが、その中で、もっとも印象に残っているのが、日本と同じ敗戦国イタリアの「自転車泥棒」(脚本・監督ヴィットリオ・デ・シーカ)であった。
イタリアン・ネオ・レアリスムを代表する名作であるが、この作品の題材となる出来事は、新聞にも載らないような日常的な事件であった。
主演の親子も素人同然であり、製作費もそれほどかかっているとは思えない。 しかし、スクリーンに映し出された親子の表情は、どんな台詞よりも雄弁にイタリアの「今」を物語っていたのだ。
後になってデ・シーカ監督から聞いた話だが、製作前にアメリカのとある大プロデューサーから製作資金提供の話があったそうだ。しかしそれには条件があった。ハリウッドの大俳優ケーリ−・グラントを出演させなければならかったのだ。
しかし彼はこの映画の作風には合わない、デ・シーカ監督はそう判断して資金提供の話を断ったという。
映画を作るために大切なことは多額の予算や大スターではない。
日常生活に隠された「物語」を見つけ出すことである。この作品はそれを私に教えてくれた。 |